
甘えることは得意ですか?
甘えることが苦手ですか?
甘えられる人、と言われて思い浮かぶのは誰ですか?
浮かばなかったら甘えられる何か、はありますか?

私は甘えるのが苦手だと思っていました。
甘えるのが得意な人はいいなぁと思っていました。
ところがどっこい振り返れば甘えまくりの人生です。
甘えるのが苦手とか思ってるぶん、始末が悪い笑
当たり前と思って受け取っていることのなんと大きな事か。

甘えられない。と思っている時は甘えさせてもらっている沢山の手に気づいてない時か
その手から溢れてしまうほど不安や悲しみや色んな感情が大きすぎる時。
まず気づく事。
それでも溢れてしまう時は
いつでも誰でもどこまでも果てしなく甘えられる大きな大きな手に甘えること。
その手の名を人は神様、とか、宇宙、とか、色んな名前で呼ぶ。
今日もみんなの手と大きな手の中でまるまって深呼吸する。
私の手も、沢山の人に添えています。
お互いの手の中で、みんな深呼吸して甘えて安らいでいられますように。

ふあふあ芍薬の花びら花嫁さんみたいになった。
毎朝30分ほどマントラを唱え
ムドラーを結び観想と共にいくつかの神様を瞑想しお祈りしている。
今日のお祈りが終わりお香も灯明も消えた後キッチンに向かうと
娘が「あぁっ!」と小さな声をあげた。
振り返ると、さっきまで「あと数日は咲いていますよ」
という顔をしていた芍薬が解けて花びらが鮮やかに舞い落ちていた。

準備ができた芍薬は
軽く指先で触れるだけでほろほろ、ほろほろとなんの執着もなくほどけていく。
私もこうやってほろほろ手放して
軽やかに生きて死ねたらいいなぁなんて思っていた。
でも最後の最後。
まだぎゅっとまるまって離れないいくつかの花びらが真ん中に残った。
それが、なんか愛おしかった。
いつかは枯れて土に還るから。
そのままぎゅっと大切なものと一緒でもいいね。

全てを手放そう。それもエゴかもしれないな。
そもそも私のもの、なんて何もないのだから。
その時々に与えられたものを無私に精一杯。
できるかな。できなくても、それも愛おしいよね。