
明けましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願いします。
みなさんが健康で幸せに安らかに過ごすことができますように。
さて冒頭の写真は悉曇梵字でśāntiḥと書いてあります。
śāntiḥはみなさんもよくお馴染みのサンスクリットの一つではないでしょうか。
よくyoga教室の最後なんかにも
「一つ目のśāntiḥは自分へ、二つ目のśāntiḥは大切な誰かに、三つ目のśāntiḥは世界へ、または生きとし生けるもの全てに」
なんて私も言ったりすることもあるし、聞いたことある人も多いのではないでしょうか。

śāntiḥ
平和と訳されることが多いこの言葉ですが
静寂・争いがないこと・穏やかで安らいでいる様子。
転じて、平和と表現されます。
その語根は√śam
更に分割すると
√śaには「邪悪な」√maには「死」 という言霊が宿ります。
邪悪の死、故に訪れる「静寂・穏やかさ・安らぎ」なのです。
私が哲学やサンスクリットを学んでいる伊藤武先生は
シャンティーが女性名詞であることに掛けて
「元々中々なあばずれだったんだよねシャンティーちゃんは」
って面白く表現してくれましたが
一点の黒歴史もない聖女になんかなれない私はホっとしたもんです。

そこでもう一度冒頭の悉曇梵字。
シャンティーの横には、寂滅、と書いてあります。
寂滅といえば、これまたみなさんお馴染みのサンスクリットの一つ。
nirvāṇa 涅槃。の意味です。
なぜ、寂滅がシャンティー?
nirvāṇaを、かの有名な中村元先生はこう訳しました。
「安らぎ」
これは本当に秀逸な訳だと言われていますし、私もすごいなあって思います。
ここまで書けば、シャンティーの横に寂滅とある理由がもうお分かりかと思います。
私は、śāntiḥの語根も含めると、寂滅、という表現はピッタリだなあって思うのです。

平和は、安らぎは
生温い、なまっちょろいものじゃない。
自分の中に揺るぎない火を灯し、焼き尽くすのだ真実では無いものを。
「信じる」という偉大な力を発揮して
刹那ごとに現れる幻影を、刹那ごとに滅して
その瞬間に訪れる安らぎと
今年はどれだけ一緒に在れるかな。