花曼荼羅と祈りの唄@川崎フィオーレの森でのこと

先日12月14日に行われたnada yogini ゆかちゃんとのイベント

花曼荼羅と祈りの唄@川崎フィオーレの森での事を書きたいと思います。

この日は急な体調不良の方や行きたいけど難しい!と言う方も多い中

2秒で行くことを決めた!と言う方ばかりが偶然集まりました。

縁ってそう言うもんなんだな、って思います。

今回来れなかったけど想いを寄せてくれた皆さんとも

きっとまた別の場所で会うのだろうなって確信もあります。

最近数人の人に花曼荼羅を教えるトレーニングみたいなものをやってみたら?

と言う声をいただきます。

ふーーーむ、もしやるとするならばそれはどんな形になるかな?

と感じてみたら、、、

まずヴェーダからの哲学のお話になるだろな。

ウパニシャッド、原始仏教、説一切有部、サーンキヤ、唯識

そしてやっとヨーガ・スートラ。

私の一生にずっと関わっていくであろう、タントラ・密教。

そんな哲学のお話だけで一体何十時間かかるかな。

私は日々の生活が好きで好きでたまらないから

生活のお話も欠かせない。

生活に何年も密着しているアーユルヴェーダ。

アーユルヴェーダを教えると言うより、私に密着したユウ緩ヴェーダだな笑

生きる中心に感じている、食べるという行為。

私が小さい頃から大好きな料理のこと、も欠かせない時間になるだろな。

最早、花曼荼羅はどこへ??笑

マントラやサンスクリットが織りなす

美しすぎて完全な宇宙の世界も伝えたい。

saṃskṛta

samは「集合」kṛta「為した、作られた、磨き上げられた」

完全に為した、磨き上げられたもの。

それがサンスクリット。

私はそれらに触れるとなんとも言えず甘露の蜜のようなものを感じてしまう。

私を、内側からも(心の反応)外側からも(自分の心の反応が作り上げている世界)護ってくれるもの。

マインド(心)を鎮めてくれるもの。

その心の曇りが晴れることによって

「それ」をそのまま映し出してくれるもの。

「それ」と繋げてくれる、大切な道標でありお護り。

繋がっていないようでその全ては私にとっての花曼荼羅に繋がってくる。

花曼荼羅のトレーニング、と言うものは存在しなくて

私、を伝え、その時間を通して、あなた、を見つけていくトレーニング、かな。

結果、花曼荼羅を伝えていく、のではなく

あなたのオリジナルを、あなたが伝えるべきことを

もしかしたら伝える、という形ではないかもしれない、という事を

あなたの命を生かす方法は伝える、ことだけではないから

それを知っていく、そんな長い時間一緒に過ごす集まり。

を、いつかできたらいいな。

あれ、イベントのことだったはずが笑

最後にとても好きな金子みすゞさんの童謡を贈ります。

おてんと様のお使いが

そろって空をたちました。

みちで出会ったみなみ風、

(何しに、どこへ。)とききました。

ひとりは答えていいました。

(この「明るさ」を地にまくの、

みんながお仕事できるよう。)

ひとりはさもさもうれしそう。

(わたしはお花をさかせるの、

世界を楽しくするために。)

ひとりはやさしく、おとなしく、

(わたしはきよいたましいの、

のぼるそり橋かけるのよ。)

のこったひとりはさみしそう。

(わたしは「かげ」をつくるため

やっぱり一しょにまいります。)

この童謡に、私は優しい優しい視点を感じます。

全ての光が愛おしく、どのような役割であってもそれは光であり

なんの優劣もなく、その役目を果たす様は

ただただ美しいと思うのです。

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