遅くなりましたが、9月半ばの「毎日つくるごはんだから の会」の模様です。
今回も赤ちゃんが2人来てくれて、ワイワイ楽しい会になりました。
ありがとうございます!
そんな写真たちをのせながら
ふと思ったことを書いてみようと思います。
先日のシリーズクラスで、生徒さんの一人が最近「むなしい」と言っていました。
元気だし、楽しいこともあるけれど、どこかベースに「むなしさ」のようなものがある。と。
私、いつかのブログでも書きましたが
「さみしい、むなしい」をよーーく感じてみていた時がありました。
そこでわかったことは
「みんなむなしいし、さみしい」
ということ。
いや、私は断じてむなしさもさみしさも無縁だ!という方がいたらごめんなさい。
でも、話を続けます。
そして、その誰かのむなしさやさみしさは、巡って私たちのむなしさやさみしさを癒す。
のです。
むなしさは芸術を生む。と、クラスでも言いました。
今日もお寺に行きましたが、お寺は寂静でいっぱいです。
今日観たアートのインスタレーションは「陰翳」がテーマでした。
その寂しさや陰に、満たされます。
自分の中のさみしさやむなしさが共鳴して
そこに美しさを観ます。
さみしさやむなしさは、喜びや楽しさと同じように、美しい。
全ての感情は、感覚器官の働きは、肉体は、美しい。
それは、お花に触れていてよく思います。
どこまでも完成されていて、繊細で緻密で
蕾でも満開でも枯れていても不揃いでも
どうあっても美しいということがわかります。
どうしようもないほど、完全で満たされているとわかります。
むなしさに、安らぐ。
さみしさに、寄り添う。
悲しみに、理解の眼を向ける。
ヨーガスートラの有名な一節。
ヨーガとは心の作用の止滅である。
心の動きが止まること、がヨーガの目指すところ。
でも、私が今大切にしていることは
心を無かったことにしない、殺さない。
融合する、ちゃんと観てあげる。
止めなくっていい。
心を邪魔にしない。
前にも載せましたが、佐藤初女さんの言葉を最後に
私には心がある。
心なら、汲めども汲めども尽きることがありません。