人も感情も、粒子で出来ている

今日は午前午後とゆっくりコースのプライベートセッションでした。

今日はお二人ともチネイザンとタイヨガとヘッドマルマセラピー。

午前中は1歳の赤ちゃんも一緒に^^

ファイルにカルテをしまっていて

大分パンパンになって来たそのファイルを見て

そういえばもうプライベートヨガをはじめて3年半弱経ったのだなと思いました。

最初はポツリポツリだったけど、今では毎月通ってくれている方も多く

初めましての方も沢山来てくださっています。

お菓子も何回作ったのかなーー

私はハマると飲食と排泄と睡眠以外それしかしない。という事がよくありますが

どれもそこまで長続きせず、また違うブームが来ていたのですが

ヨガから派生した色んな事はずーーーーっと根気よく続いています。

あまりあれやこれや目移りすることも無くなりました。

どんどん同じ場所を色んなツールに持ち替えて掘って掘って掘り続けています。

6月にはまたチネイザンとタイヨガの先生が海外から来てくれるので

手技をより深めて行きたいなと思います。

マントラのセッションも一段深い所に学びが進んでいます。

6月からは呼吸法も改めて1年かけて学びます。

学ぶ事は終わらないです。

春夏のシリーズクラスは6月で終わるので

次はどんな事をして行きたいかなあ、と考える日々です。

考えるというか自分に聞いています。

私の魂が望む事で、みんなの役にたてる事、みんなが私に望む事

それってどんな表現かな、何かな、って空に向かって投げかけています。

私は多分、ストレートに「それ」に向かう事をしたいんだと思います。

「それ」ってヨガでいうと真理とか魂とか梵我一如とか色々言えちゃうのですが

まだそこにいけてないから、名前がわからないので「それ」です。

すごく遠くにあるかもしれないけど、そこに向かうんだと決意する。

そうすると、今までやっていた色んな事の質が変わってくる。

自分がより強く決意することで、もっともっと変えたいんだと思います。

一歩一歩しっかり歩きながら、そう、今ですよ。

というタイミングが来るのを待っています。

先日こんなことがありました。

歩道でお母さんが目眩で倒れて、娘さんがどうしようと慌てていました。

友人が日傘で影を作り、私は救急車を呼ぶ電話をかける娘さんの背中をさすっていました。

微かに震えている背中から、そこに触れている私の手に見えない小さな粒子の振動が伝わってきました。

それは肘と脇の間くらいまで上ってきてフルフル振動を続けていました。

万物は粒子で出来ているってそういう時にリアルに感じます。

その振動は私の知っているもので「不安、怖い」という振動でした。

でもその時私はキールタンの帰りで、私のハートからは「歓び・幸せ」で粒子は振動していました。

だからこそ余計に腕とそれ以外の身体の振動の違いがくっきり分かったのだと思います。

お母さんが倒れるってとっても怖い。お母さんが元気でいることって子供にとって当たり前で

そんなこと怖くて怖くて当たり前です。

幸いすぐに救急車は来て、お母さんもしっかり意識はあったのできっと大丈夫だったと信じていますし願っています。

私は一瞬、その伝わって来た振動に、自分の不安を重ねようとしたのですが

ああ、そうじゃない。と気づき、そのままにしていたら

それは私の中心から流れる振動にまた戻っていきました。

それはとても面白い体験でした。

この写真のお花の曼荼羅を作ることも

キールタンで歌を歌うことも

ヨガのアーサナや呼吸法や瞑想も

アーユルヴェーダの日々のケアも

ご飯を作ることも、掃除することも

お菓子を作り皆さんと過ごすことも

みんなみんな

「それ」へ向かっている。

私は向かいたい。

でも、それをどう形にしてみんなとシェアするのか

私がシェアをする必要は実はないのか

何か別の形なのか

お空に聞いています。

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