娘は従姉妹と遊びに行き
夫は恒例の酔い潰れ朝帰りで爆睡中
一通りの家事を終え
気長に黒豆を煮ながら
柚子茶を飲み
今年最後のブログを書いています。
(先日友達と1日沢山歩いた、糺の森の朝の光)
もし、この世に「反対する・否定する」という概念が無かったら
とふとお風呂で考えてました。
Aさんは「私は〇〇だと思う」という
Bさんは「私は△△だと思う」という
2人は意見が違うけど、反対や否定をするという概念がないので
Aさんは「私は△△のなかで◇◇な部分は賛成できる」という
Bさんは「私は〇〇のなかで☆☆な部分は賛成できる」という
こうやって繰り返し、お互い賛成できる・肯定できる部分が残って行き
自然と距離が近くなっていく
かもしれない。
(同じ日、夕方の日の光。同じ太陽だけど表情は様々)
否定や反対のコミュニケーションを経た方が良いものが生まれるのだろうか
それを全く無くしてしまったらダメな世の中になるのだろうか
不健全で不自然な状態なのだろうか
物事はそんな単純じゃないし
どうしようなく悪意に溢れているものも存在する
勇気を持って反対する、否定する、ということが必要なこともきっと沢山ある
存在を肯定してもらえた上で、これは違うと思うと言われたことが
自分の栄養になる事も沢山ある
私にはわからないけど
今の自分の周りには肯定から生まれるコミュニケーションが溢れている
それはとっても居心地がいいし
何より相手を、自分を、好きになる。
もし、誰かの尊厳を否定する、そんな概念が存在しなかったら
全ての人が、全ての人を尊重できたのなら
もしもボックスがあったらあなたはどんな世界を創造しますか?
でも、こと家族、となると
とても簡単に否定・反対してしまう 笑
来年は家庭という小宇宙に「否定・反対」ではなく
「賛成・肯定」のエネルギーを満たしていこう。
私は生きてきて沢山の否定や批判をしてきたな
沢山の人を傷つけたし、沢山の自然も傷つけた
ごめんなさい
キールタンで聴いた「ホ・オポノポノ」のこの言葉
ありがとう
ごめんなさい
許してね
愛しています
許してね、許してください
この言葉が一番胸に響く
この言葉を唄った時
「ああ、もう許されているんだな、すっかり許されているんだ」
ってそう思って涙が流れました。
大晦日の今日、一年を振り返り
この言葉と共に過ごしたいなって思います。
皆さま、良いお年をお迎えください。
ありがとう
ごめんなさい
許してね
愛しています