今日お気に入りのごはん屋さんで、気の置けない友達とランチしていました。
気の置けない、って書いてると面白い日本語ですね
元々は気を使わなくていいほど打ち解けた。の意味ですが、最近はあの人は気が置けないから気をつけてね。など逆の意味で理解している人が多いそうです。
まあ、その気持ちもわかる不思議な言葉だなって思いますが、氣が置いてある状態、氣の置いてない状態ってどんなかな、と想像すると本来の意味がわかるような気がします。
二人の間に「氣」が交流せずに置いてある状態
うん、なんか気まずい。
「氣」が置かれずにスーーーっと行き来している状態
うん、とっても気持ちいい。
そんな感じの友達とのランチです。
(気の置けない人々)
なんてない話を笑いながらしている時間なんですが
あとからじわーーっと効いてくるそんな時間です。
友達がバンスリーを練習していると色んなことがクリアになってくる、と話していたのですが
そういう時間が過ぎた後も、自分の中の考えが自然にまとまっている時があります。
今日もそう。
アーユルヴェーダは大好き。
でも、私は「アーユルヴェーダ」の伝道者ではない。
私はアーユルヴェーダからインスピレーションを受け、私という容れ物を通して表現している、人。
だから、アーユルヴェーダで良しとされていることでも、自分の体感でピンときていないことをお話しすることに違和感を感じてしまう。
ヨーガは大好き。
でも、私は「ヨーガ」の求道者ではない。
rāga ラーガ 色・色欲・心の色
心を染める喜怒哀楽・揺らぎ、その動きを止める、滅する。
そうしたい、とは思っていない。
むしろそれがあることを愛している。
(秋の空って好き)
正しい「何か」を伝える人ではない。
私はただの容れ物で表現者、愛好家。
それらを学ぶことは大好きだけど。
もっともっと自分が、五感が感じていることに素直でいたい。
最近はシリーズクラスもお休みして、すっかりプライベートセッションメインの活動になっていますが
何か形にしていってみようかな。と思います。
まだ内容も場所もなんにも決まっていないけど
何かリクエストがあればお伝え頂けたら嬉しいです。