さみしさと切なさと愛おしさと

いよいよ今週の金曜日から娘の学校がはじまるので、プライベートヨガみんなでおうちヨーガも通常営業に戻ります。

夏休み中はクラスが少なくなる分、ブログを書こう!と思っていたのにこの有様。

最近は非言語のコミュニケーションの方がしっくりきているからか

何かを言葉に残す、ということにあまり意識が向きません。

話すことがないなあ、と思ったりもします。

また言葉にする、ということが前に出てくる時期もやってくるとは思うけど。

聞かれたことによって、自分の中に眠っていた言葉が動き出すことが多いので、是非私を見かけたら話しかけてもらえたら嬉しいです。

今日は独り言のように、浮かんでくるままに文章を書いてみようと思います。

夏の終わりってなんだかさみしい。切ない。

多分何かの終わりを感じる時ってそう。

夕陽とか。朝日は切なくならない。

花が枯れていく様とか。蕾が開くときはさみしくない。

親の髪とか肌の質感とか。赤ちゃんのそれはもう全く。

でもそのさみしさとか切なさが、今をスローモーションのように感じさせてくれて

とっても愛おしい。

私たちは、きっとさみしさや切なさが大好きで。

その刹那を愛おしむ、そんな性質を産まれながらに持っている。

それは産まれる、ということが、死、とセットだからだろうか。

お母さんのお腹の中から、終わりの種を抱いて産まれ出てくる。

いつか終わることがわかっているから、わかっていても

精一杯生きたい生きたいって泣くんだよね。

なんと命の愛おしいこと!

この世界の美しいこと!

今日「ループ量子重力理論」では量子のループの泡のような結びつきとその相互作用、それが宇宙を形成していて

時間も空間も、我々が認知できるような意味ではこの宇宙に存在していない。

という、まさに「空」のような物理学のお話をチラッと読んだ。

宇宙物理学や量子力学は本当に文学であり哲学で古代宗教のようだ。

もし、その愛おしい美しい命や世界が、私たちが作り上げた概念だとしても。

それを慈しんで味わい尽くすことが

幸せだなあ、と感じた、そんな8月下旬の夕方でした。

 

おしまい!

 

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