先週木曜日から4日間、マントラリトリートに行っていました。
マントラ、マントラ、マントラ。の日々ですが
そこには、寝て、起きて、掃除して、ご飯を食べて、お風呂に入って。
と、大家族の生活がありました。
こまちゃんや、さおりちゃんや、ちーちゃんや、JOYちゃんや、なおちゃんが
作ってくれるご飯は、丁寧で、愛に満ちて、魔法がかかったように全て美味しかったです。
今日はみんなとの生活を想いながら、いくつか作ってみました。
(↑ Noah’sごはん しっかりお揚げに味がついたぶるっと震える美味しさ こっそり2個たべちゃったやつ)
(↑ Yuko’sごはん 家にある材料で作ったら、ほうれん草の味が強くてすっかり別物になった 笑)
(↑ Noah’sごはん 手間暇かかった暴れだしちゃいそうなほどおいしい里芋のフライ)
(↑ Yuko’sごはん 揚げる段階で片栗粉が無いことに気づき米粉で揚げたらすっかり別物になった 笑)
(↑ オリジナルの写真はないけど、美味しかったほうとう。かぼちゃが無かったのでじゃがいもバージョン やっと近かった 笑)
20人近い人のご飯を作るのは、とても凄いエネルギー。
あなたの命を わたしの命に 変えさせて 頂きます。
その命のエネルギーの中に、作ったひとの力や愛情も入っているんだなあ。
私が生きているのは、この肉体があるのは、びっくりするほどの命のおかげだ。
このリトリートでわたしの命になったものはごはんだけじゃなくて、すべて。
すべて、そこに在ったもの。そこにはもう無いけど、繋がっているもの。
すべてが繋がっていて、わたしはすべて。そしてわたしはわたし。
呪文のようだけど、呪文のままでいい気もする。
誰かにわかりやすくするために言葉を作ると、何か違うものになってしまう。
愛しい愛しい、みんな。
みんながずーーっとずーーーと幸せに包まれていますように。
そして愛しい愛しいわたしの先生。
みんなのお母さん、お父さん。
2人は、お母さんやお父さんを象徴するエネルギーそのものなんだけど
日を重ねるほどに私にとってはそうではなくて
自分のこどものような感覚になっていた。
先生なのに変な話で。
なんでかなーなんでかなーと分からなかったんだけど
今日やっと、ああ、そっかと思った。
私にとって、愛の象徴は「こども」なんだ。
心の底からの愛を感じると、その人はじぶんのこどものように思ってしまうんだ。
だから、友達にも沢山わたしのこどもがいるんだ。
帰ってから何度も、自然に2人の幸せを祈ってしまう。
すぐそばにその存在を感じる。
きっとそれは2人がわたしの幸せ、みんなの幸せを祈ってくれているからだ。
どうか、どうか、どこにいても2人がずっと温かい真綿のような幸せに包まれていますように。
あなたは
慈しみ深きお母さん、そして、厳しくどこまでも優しいお父さん
魂の繋がった友人、そして、いつも待っていてくれる家族
私たちを導く光、生々しく生きる宝物のような命
みんなのこどもで、みんなの神様
そして、わたしのかけがえのない、大事な人