今日で娘の夏休みも終わり。
明日から通常営業!!
ぼやーーとしていた頭もシューーーっと集中してきました。
最近は感情のアップダウンの幅が狭く
過去を思い出したり、未来を思い煩ったりすることの頻度も少なく
何か言葉にしよう、とする欲求が余りなく
ブログもお知らせ的なものが主流になっています。
今日は久々に、浮き出てくる思考に焦点を当てて集中してみたのですが
特に大きな気づきが得られることもなく
浮かんできたのは
「どうせ影があるなら光の方を向いておこう」
というものと
「お花がある生活はやっぱいいなあ」
という脈絡のないものでした。
私の愛用しているスケジュール帳「和暦日々是好日」にこんな文章が載っています。
月影
「かげ」には光と影、両方の意味がある
月影は月光そのもの、光の気配、または月に照らされてみえる物の姿をいう
そもそも夜の間も太陽の光を反射して空に灯る月とは
太陽の光気(かげ)である
さやけき月の光は強く明るく、物の陰影をはっきり浮かび上がらせている
自分の思考の光のような部分を見つめていると
なんとなくポジティブで楽しくて健全で穏やかな気分になります。
影のような部分を見つめていると
なんとなくどよどよしてクサクサして自分って嫌なやつやなあと思います。
でも光を見つめていたはずなのに、その中にものすごい闇を発見することもあります。
光があることで、その黒い点がどんどん目立ってきます。
逆に影のうごめくような暗闇の中に、ほんのりかすかな光があると気付くと
その光はとても強く存在感を放つようになります。
なんとなく過ごしていると、そのどちらにも気づくことはありません。
光は光で、影は影です。
どちらを向いていようとも、しっかり見つめればどちらも見ることになる。
蕾がふっくらとし、花びらが開いて、よい香りを漂わせ、その美しさ可憐さで、心がフッと明るくなります。
時がたって、花びらの色は変化し、萎れ、茎は頼りなく項垂れて、いずれ朽ち果てます。
いつどこまでは咲いていて、いつどこからが枯れているのだろうか。
9月は中秋の名月。
お月さまを感じながら、光の中の影、影の中の光
そのグラデーション
そんなことをテーマにヨガクラスをしていこうかな。