昨日は小学校2年生の娘が、初めてお友達の家にお泊り会にいきました。
逞しい背中でうきうき歩く娘。
子供の成長はものすごく嬉しくて頼もしくって
なんか切なくて甘酸っぱくて、寂しい。
彼女の行く道が沢山の愛と光と優しさで包まれていますように。
さて、そんな中母は、友達とランチしたあと梅田のルクアイーレの蔦谷書店にて読書を楽しんでいました。
読んだのは「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本。
フロイトやユングと同時期を生きた、精神医学者アドラーの心理学を哲人と青年の会話方式でわかりやすく書かれた人気の本です。
2時間ですらすら読めたので、本が苦手な人も読みやすい素敵な本だと思います。
で、読んでると、私非常にアドラーさんの考えと似た考えで生きてきてて(これはなんか違うな~というのもあるけど)
えーっと、私も共著したっけ?(ずうずうしい。笑)等と思うほど。
そしてその考えを述べる哲人に対する青年のリアクションに、これまで自分の考えや生き方について
「情がない!」や「なんか怖い!」、「分かるけど、相容れない」
と言われたり思われたりしてきた理由が、そうやったのか~~~みんなこんな気持ちやったのか~~~
としみじみ謎が解けました。
私の考え方は、割と劇薬で苦いんだ。と客観視できました。
そして私は哲人ではないので、若い頃は特に
それをオブラートに包むことなく半ば無理矢理羽交い絞めにして 笑 飲ませていたんだな~
みんなごめんね。それでも仲良くしてくれてありがとう。
詳しいことは読んでそれぞれ考える方が楽しいので書きませんが
表題の「嫌われる勇気」。これが幸せに生きる一つのキーワードな訳です。
私も大人になり、世の中の多くの人が「嫌われたくない!」と思って生きていることをちゃんと理解出来るようになりました。
嫌われ、たくないですよね。
愛されるって嬉しいし幸せ。
嫌われたくない、って悪い感情ではないと思います。
だから、そう思っても自分を責める必要はない。ただ、そう思うんだなぁってことだけ。
私はデフォルメが
「私が私を好きなのは当たり前だけど、私じゃない人が私を好きになるなんてとても稀有な事で、嫌いで普通だろう。」
という感覚で生きてきました。
なんで、勇気というか、まあそんなもんだ。という感覚です。
でも、目の前や人づてに「あなたの事嫌いらしいよ」と聞くと、人並みにちゃんと傷ついたりちょっと悲しいやん。
と思うので、出来ればそっと嫌っていただけると有難い。
この考え方だから自分が幸せだ!とはそこまで思いませんが、対人関係に置いて「楽」であるとは思います。
でもこの本を読んで、そうじゃないタイプの人がこういう思考パターンになるのはどうやら結構むずいらしい、というのは理解しました。
いったいいつどうやってこういう考えの人間になったのか、物心ついた頃から変わらないね、と言われるので分かりませんが
「嫌われる勇気」欲しいなあ~っと思っている人に、なんか伝えられたらいいなあ~。
今度はきちんとオブラートも用意して。
気になる人がいたら、どうぞ話しかけてみてください。
1週間ほど前から手首を傷めヨガが思いっきりできません。
大分よくなりましたが、思いっきりヨガ出来るってめちゃめちゃ幸せだったんだな。
と。しみじみ感じる事が出来ました。