ジョーティッシュを受けて・意識が切り替わる時 その2

さて、前回は

アーユルヴェーダやヨーガを行なう上で

自分の性質に真に気づくこと

それがとってもとってもとってもとっても

大切で、そしてその為には…

という所でした。

その為には…

これ!と言葉で言えるものがあるわけではなくて、って

どないやねん!!笑

その人その人に、それぞれそのタイミングや段階があって

それは何かでコントロール出来ないものかなと思います。

ただ、そのタイミングを掴むことやその時にどれだけ深く気づけるかは

どれだけ自分がそのキッカケを与えてくれる人や何かを

真っ裸で素直に受け入れられているかが大きな要素かな、と思います。

自分の顔の表情、仕草、声、瞳、言葉

そういうところにも全部出ているし

自分がどれだけそのままか

そこにある嘘や虚構が多ければ多いほど

そのタイミングは逃すし、段階は浅く遅くなるのかなと思います。

今回のセッションで私が受け取れた分は

私がそのままで真実で居られた分だと思います。

それは要するに答えはそもそも自分に在るということです。

目の前に居る人は鏡で私の瞳の曇りのない部分だけが

今の私に見えるのだという事です。

だから、セッションを受ける時は曇りが少ない鏡と出逢い選ぶということも大切なんだと思います。

お互いが鏡として、瞳として、曇りを晴らしていくこと。

セッションは共同作業、お互いで車輪を回すことなんだと思います。

私はそのままに向かい合ってもらえるステキな先生に恵まれて

とてもラッキーで幸せだと思います。

私は子供のころ、大笑いしていても何か胸の真ん中に

すごくすごく冷たい丸い石のような宝石のような隕石のようなものがあって

それは絶対温まることがないもので

これは一体なんなんだろう、と感じていました。

ある時、何かの文章でビートたけしさんがそれと同じようなことを書いていて

ああ!私だけじゃないんだ、この塊があるのは。とものすごくホッとしました。

そこからビートたけしさんは私のヒーローなんですが。

その塊は今ではもう感じられなくて

きっとヨガを始めて段々小さく小さく分解されたように思います。

でもきっとそのカケラは見えない見えない微細な粒子

サンスカーラ(残存印象の種子)のように存在していると思います。

今回のジョーティッシュセッションで

私の過去生など(過去生があるかどうかは概念の話なのでどっちでもいい事として)持って生まれてきたものの話の中で

「元々、深い所で自分の要求を真に満たすものはない・存在しないという、根底的な絶望を持っている」

その言葉を聞いて、ああ、あの塊の名前はそうだ“絶望”だったんだな。と、納得しました。

“絶望”というととても暗いもののようですが、そんなことはなくて。

そして

「あなたにとって、その望みが可能性として叶うとすれば、それは自分より大きな意識体、そこに近づく方向へ自分が向かっている時。

その時にすごい安心感があって、そこへの絶対的な信頼感があるんですね」

この言葉に大きく大きく頷きました。

ああ、そうか。だからこの道を歩いてるんだろうな。って。

今後どのように自分が進んでいくのかわかりませんが

それが、自分の芯・核となる部分なんだな、と思います。

そしてその絶望への答えは、私だけでなく皆んなが知りたいもので

社会的な表現を通して、私が伝えていきたい事はそこ。

そして、それは絶対にブレてはいけない事。

それが今回一番私に伝えなければいけない事だったようで

私自身、気づきたかった事でもありました。

(実家の庭の八重桜で母が作った桜の塩漬け)

さて、読んでても???って感じでうまく伝えられているのかわかりませんが

この熱量で書いておきたいな、もしかしたら誰かにとって意味があるかもな

と思って書ききりました。笑

 

今日は朝ドラで大好きなくらもちふさこさんの漫画が出てきて

きゃーーーって読み返していました。

難しいこと書いてるようですが

こんなキャーーはずっと大切にしていきたいのです。

2018-04-26 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

ジョーティッシュを受けて・意識が切り替わる時 その1

先日アーユルヴェーダ医師の安藤先生のインド占星術(ジョーティッシュ)を受けた事を書きましたが

今日はその後の変化と、自分自身に更に染み込ませる為に書こうと思います。

結論から言うと、ジョーティッシュを受けて

ずっと認め切れていなかった自分の性質をガツーーン!と受け入れました。

それは何で気づかないようにしていたのかと言うと

それを認めたら、その後自分が向かっていく方向が

中々ハードというか責任も重く視野も今よりもっと広げていくような方向だからです。

人間なので楽をしたかったんです。

でもそれって本当の楽ではないんですよね。

そしてきっとそれにガツーーン!と気付きたくて、セッションに行ったんだと思います。

そのセッションで話してくれた内容はとても具体的で

私の中に入って一緒に生きてきた?って言うほど的確でした。

でも、私が産まれた時の宇宙が指し示した方向は

私にとってはとても壮大で、本当に私がそんな能力があるのかなってたじろいでしまうものでもありました。

そんな中、先生が私の向こう側と対話するように、呟くように言った一言

「あなたが迷うと、時間が遅れる、時間が遅れると、タイミングが合わなくなる。全ては調和されるように設計されているから。」

これが一番私の目を覚まさせました。

私のちっちゃい自我、恐れ、そんなもんがどんなもんじゃい!って 笑

宇宙の調和の一つの歯車、それが動けば、そこから連動したものもスムーズに動く。

全ては繋がっていて、それは美しい宇宙の設計図の一部のよう。

宇宙物理学の本を読んでいると

如何にこの宇宙がものすごい確率で成り立っているのかビックリします。

それは途方も無い確率です。

ちなみに書くと、宇宙が10の500乗個生まれたらその中の一個くらい人間が生み出される可能性がある宇宙が出来るかも。

くらいだそうです。それくらい宇宙に私たちが存在しているのは奇跡だそうです。

うまく出来すぎているくらい。(この話はとても面白いのでまたの機会に)

その危ういバランスで成り立っている宇宙の奇跡の一部が

私、という存在なんだな。

って、その呟きで、瞬間的に意識が切り替わりました。

もし、それが私に与えられた個性なら、それを存分に発揮して世の中に明け渡したいなって。

アーユルヴェーダの生活法や食事法を実践してきて

確かに生活の質はかなり変わり、とても生きやすくなりました。

でも、それでも中々改善しないものもあって

まあ、仕方ないか。時間がかかるのかな?と思っていましたが

意識が切り替わり、自分の本来の性質にガツーーン!と気づいた事で

本当にすべき生活法や食事法がスルスルと分かり

セッションを受けて1週間、先生に言ってもらったことに加え

自分に必要と思える事を徹底して実践しました。

結果

なんていう即効性!

昨日始まった生理の経血の綺麗なこと!!

血、って大切です。

身体中を巡るから。

1週間徹底して行ったのは血を浄化する事。

女の人はラッキーです。1ヶ月に1回、こんな浄化が出来て

自分でその質を目にする事ができるから。

こんな排出のシステムを兼ね備えているなんて!女性ってすごい!

そんな自分の実践と体験を通して

アーユルヴェーダやヨーガを行う上で

自分の性質に真に気づくこと

それがとってもとってもとってもとっても

大切だと改めて感じました。

 

そして、その為には…。

という所ですごく長くなってしまったので

また続きは今度書きたいと思います。

 

2018-04-21 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

いつでも恋ができるように

今日は終業式

明日から春休み。1人の時間を満喫しています。

マントラをゆっくり唱えたり

ウクレレで歌を歌ったり

今はラナワラというアーユルヴェーダのハーブティーを飲みながらブログを書いています。

 

ラナワラはこんな野性味たっぷりの見た目ですが

味はそんなにクセがなく少しお花の香りがします。

生ハチミツをちょっと入れて飲むと美味しいです。

女性に嬉しいハーブで、美肌、美白、アンチエイジング、ホルモンバランス、PMS、血液の浄化に効果が期待できるそうです。

スリランカでは糖尿病の治療にも使用されているそうです。

(桜も咲き出しましたね)

私は子宮ポリープ切除や子宮頚がんの円錐切除の手術歴

また10年ほど前から小さい2cmほどの卵巣嚢腫があったり

子宮周りがあまり強くありません。

それはジョーティッシュ(インド占星術)で見てもらった時も

星に出ていて「おお!星の並びなら仕方がない」

と前向きに捉える事ができるようになりました。

来月もジョーティッシュの鑑定に行くので

またその感想なんかもシェアしますね^^

 

そうして前向きに捉えてアーユルヴェーダやヨーガで

日々その時の様子に合わせてケアをしています。

昔はひどかった生理痛も今では大丈夫。

気の合う女医さんとも巡り会え、定期的に検診にも行っています。

これから更年期を迎えていくので

早いうちから自分の特性を観て、ご機嫌に歳を重ねて行く工夫をしたいなって思います。

 

自分に起こる様々な事は、大きな流れの中にあって

それに委ねて、でもその中で出来ることを精一杯やっていきたいです。

最近、佐藤初女さんの言葉を繰り返し読んでいます。

初女さんのお話はプライベートクラスでもよくしています。

初女さんが訪ねてきた方におむすびを結び、話を聞き、一緒に過ごすようになったのが41歳ごろと書かれてありました。

森のイスキアの前身「弘前イスキア」ができたのが62歳の時。

「森のイスキア」が完成したのが71歳の時。

そこから海外も含め精力的に活動されて2016年94歳で永眠されました。

 

初女さんの言葉はどこまでも優しく強いです。

初女さんはクリスチャンですが、ヨーガの教えに通じる言葉も沢山あります。

子どもにキリスト教と仏教はどう違うのかと問われて

「お山があるでしょ。こっちから登ってもあっちから登っても頂上はひとつですね。めざすところは一緒です」

とお答えになったそうです。

私も初女さんが目指していた頂上を目指して歩いていきたいなって思います。

私はまだ39歳。

まだまだ始まってもいないような年齢なんだなって思います。

 

ゆっくりゆっくり

じっくりじっくり

これからいくらでも変わる事ができるし

何処へでもいけるんだなって思います。

 

女性である事を楽しんで、生きる事を喜びたいです。

いつでも恋ができる

そんな自分でいたいです。

2018-03-23 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

小さいわたしを思い出してみる

私は社会人になるまで

写真を撮るのは好きだけど

保管に興味が無くて(今も無いかも)すぐ捨てちゃうので

小さい頃や学生時代の写真があまり手元に無いです。

旦那さんは逆にしっかり保管したいタイプなので

彼と出会ってからの写真は沢山あります。

この赤ちゃんの頃の写真は

結婚式の時に実家のアルバムから拝借してきたもの

結構面白い顔してました。

(座敷わらしのようだ)

小さい頃の私は母曰く

全く人見知りせず、目と目が合ってニッコリしたら誰でもお友達

という子供だったそうです。

でも全く人の名前を覚えなかったそうです。

どんだけ仲良く遊んでても、名前を聞いたら

「知らなーい、お友達!」

だったそうです。

(おじいさんのようだ)

ここには無いのですが、幼稚園時代の私の写真は

みんながきちっと座っているのに、だらしなくポケーと座り

愛想笑いが皆無な写真が多いです。

性格は引き続き誰とでも友達になるけど名前を覚えない子だったそうです。

執着なく誰とでも遊ぶので先生に重宝され

1人になっている子とかとも頼まれてあそんだりしていたそうです。

確かに特別好きな子とかの記憶がありません。

(前髪邪魔じゃないかい?手の角度が可愛いね)

とってもマイペースな子だったようです。

そんなわたしが初めて空気を読んだ記憶が、今も鮮明にあります。

それは幼稚園の卒園式の時。

周りの友達が泣いていたのです。

わたしは全く悲しくもなかったのでびっくりしました。

でも泣いていないのは自分1人。

その時!!!!

わたしは空気を読んだのです。

嘘泣きをしました。多分めっちゃ拙い嘘泣きを。笑

(いや、だから前髪邪魔やないかい?)

最近より深く深く潜るように自分を観察しています。

そうすると、何層にも何層にも

複雑に色んな感情や記憶や妄想や

長年積み重ねた身体の反応や思考の反応

そういったものが次から次へと出てきます。

ああ、底に着いた、と思ったらそれはパカっと開き

また終わりのない暗闇が穴を空けています。

取り繕って居られない。

うんざりしそうになります。

(産まれた時から髪がフサフサ)

わたし自身を慈しみと理解の眼で観る事ができますように。

最近よく唱えている言葉の一部です。

どんな言葉も、繰り返し祈るうちにマントラ(真言)になる。

守ってくれる力になる。

 

小さい頃の、わたしがわたしらしく全力で生きて居たあのわたしに

執着なく、目の前の人と喜びを共にし

笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣いて

周りの目を気にせず、人と比べず

自分じゃない誰かになろうとせずに

そんなわたしに

 

還っていきたいな。

 

なぜ、うんざりしそうになりながらも潜るのか

それはその暗闇が光の源を生むと

直感的に知っているからです。

 

2018-02-15 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

今年大切にしたいこと

最近、ブログを読んでます。

と、感想を言ってもらうことが増えてきました。

とても嬉しいです。

読んでくれてる人がいるんだ。

何か感じてくれてる人がいるんだ。

そう思うと、嬉しいもんです。

ありがとうございます。

少し前に、今年大切にしていきたいことをノートに書いてみました。

それはこんなこと。

 

丁寧に文字を書く事

好きな音楽を聴く事

好きな香りを嗅ぐ事

絵を描いて思っていた事を感じる事

本を読む事

素直な文章を書く事

美しいと思うものを見に行く事

心惹かれる人に会いに行く事

掃除を丁寧にする事

ご飯をゆっくりと食べる事

子供と楽しむ事

 

どれも他愛のないことです。

 

年始に仲の良いお友達がSNSとの付き合い方について書いていて

それに触発され、SNSに触れる時間をかなり減らしました。

そして、これらの他愛のないけれど大切にしたいことに触れる時間を増やしました。

 

いい感じです。

 

でも、SNSは上手に使うと沢山喜びの種をくれるツールだと思っているので

これからもいい関係を築いていきたいです。

 

また、日々心に留まった事柄を

出来るだけ言葉として紙に書くようにしました。

意識を向けていきたい方向や

自分の認識を見直すきっかけになるので

それもとてもいい感じです。

 

去年の暮れから深い部分での微調整を始めている感じです。

この微調整は2年くらいはかかるかな。と感じています。

 

最近お気に入りのフレーズは

「のんびり、気長に、気楽に」

です^^

 

明日はお世話になっているヨガスタジオFIVE ELEMENTSの2周年記念祭です。

私はチネイザンで参加します。

様々な1日限りのコラボヨガクラスやヒーリングセッション

マルシェエリアでの菜食お菓子や新鮮な野菜を使ったご飯

筆跡鑑定にオーガニックフェアトレードコーヒー

楽器のWSやアーユルヴェーダ商品など盛りだくさんです!

詳細は→2周年記念祭

 

 

2018-01-19 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

「反対・否定」が無い世界だったら

娘は従姉妹と遊びに行き

夫は恒例の酔い潰れ朝帰りで爆睡中

一通りの家事を終え

気長に黒豆を煮ながら

柚子茶を飲み

今年最後のブログを書いています。

(先日友達と1日沢山歩いた、糺の森の朝の光)

 

もし、この世に「反対する・否定する」という概念が無かったら

 

とふとお風呂で考えてました。

 

Aさんは「私は〇〇だと思う」という

Bさんは「私は△△だと思う」という

 

2人は意見が違うけど、反対や否定をするという概念がないので

 

Aさんは「私は△△のなかで◇◇な部分は賛成できる」という

Bさんは「私は〇〇のなかで☆☆な部分は賛成できる」という

 

こうやって繰り返し、お互い賛成できる・肯定できる部分が残って行き

自然と距離が近くなっていく

 

かもしれない。

(同じ日、夕方の日の光。同じ太陽だけど表情は様々)

 

否定や反対のコミュニケーションを経た方が良いものが生まれるのだろうか

それを全く無くしてしまったらダメな世の中になるのだろうか

不健全で不自然な状態なのだろうか

 

物事はそんな単純じゃないし

どうしようなく悪意に溢れているものも存在する

勇気を持って反対する、否定する、ということが必要なこともきっと沢山ある

 

存在を肯定してもらえた上で、これは違うと思うと言われたことが

自分の栄養になる事も沢山ある

 

私にはわからないけど

今の自分の周りには肯定から生まれるコミュニケーションが溢れている

それはとっても居心地がいいし

何より相手を、自分を、好きになる。

 

もし、誰かの尊厳を否定する、そんな概念が存在しなかったら

全ての人が、全ての人を尊重できたのなら

 

もしもボックスがあったらあなたはどんな世界を創造しますか?

 

 

でも、こと家族、となると

とても簡単に否定・反対してしまう 笑

来年は家庭という小宇宙に「否定・反対」ではなく

「賛成・肯定」のエネルギーを満たしていこう。

 

私は生きてきて沢山の否定や批判をしてきたな

沢山の人を傷つけたし、沢山の自然も傷つけた

ごめんなさい

 

キールタンで聴いた「ホ・オポノポノ」のこの言葉

 

ありがとう

ごめんなさい

許してね

愛しています

 

許してね、許してください

 

この言葉が一番胸に響く

この言葉を唄った時

「ああ、もう許されているんだな、すっかり許されているんだ」

ってそう思って涙が流れました。

 

大晦日の今日、一年を振り返り

この言葉と共に過ごしたいなって思います。

 

皆さま、良いお年をお迎えください。

 

ありがとう

ごめんなさい

許してね

愛しています

2017-12-31 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

ふるふるブヨブヨをつんつん

今年もあと三日。

外はとっても寒いです。

今年一年沢山の出逢いがありました。

全ての出逢いに、私と関わって下さった全ての方に感謝します。

心から、ありがとうございます。

 

ヨガスタジオFIVE ELEMENTSでのシリーズクラス

(秋はお休みしたけど、来春はまたさせてもらう予定です♡)

 

毎週火曜日のママと赤ちゃんとのヨガ

(お母さんの元気と赤ちゃんの成長の側に居させてもらえる喜び)

 

毎週水曜日の自宅でのみんなでおうちヨーガ

(新しい方も昔からの方も励ましあえる場所)

 

プライベートセッション

(沢山のお菓子は来てくださったみなさんのお顔と重なります)

 

アーユルヴェーダや様々なWS、イベント

(ひーちゃんとの山小屋さんでのコラボWS、今年だったんだ!)

 

(みゆきーるたんが我が家でWSしてくれたのも今年。私はお菓子を担当させてもらった)

 

(鴨川キルタン♪は忘れられないギフトだったな)

 

(自宅でのWSは思い切ってやって本当良かった)

 

(トシさんとのWSでもお菓子を担当させてもらった。大切な出逢い)

 

(仲良しのひーちゃんと愛ちゃんとのWS。いい時間だった、とても)

 

振り返ればとても昔のことのよう。

一年は早いけどとても長い。

同じ私はいない。

 

今日来年のイメージを描いてみた。

こんな感じ。

どんな感じ? 笑

 

この絵を見てみんなどんなイメージをもつのかな?

また感想を教えて下さい♪

 

全ての方が私の先生です。

今年一年ありがとうございました。

そして来年もよろしくお願い致します。

 

 

 

2017-12-29 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

サンタさんっているの?

(娘が2年生の時のサンタさんへの手紙)

我が家の娘は小学4年生

遂にサンタさんが誰なのか知る時を迎えました。

今までも何回か

「学校の子がサンタさんはお父さんとお母さんやって言ってる」

と言って来て

その時は

「サンタさんはいるけれど、本当に信じている子の所にしかこないから

そう言っている子たちにはお父さんとお母さんがプレゼントをあげているんだよ。

だからその子たちも嘘つきじゃないし

サンタを信じている子も嘘つきじゃないよ。」

って伝えました。

その効果は抜群で、すっかり信じて

「ももちゃんはずっと信じる!」

って言っていたのですが

(ある年のクリスマスごはん。ようがんばったなーー)

今年

「クラスの殆どの子がサンタさんいないって言ってる。けど、ももちゃんは信じてるから!」

と伝えて来た様子を見て

(今がタイミングかな)

と感じました。

(1年生のお手紙。この年はコーヒーとクッキー)

そこで、膝に娘を座らせて

「あんな、サンタさんはいるねん。いるねんけどな、それはお父さんとお母さんやねん」

と伝えました。

すると笑顔で

「うん」

と言いました。

「安心した?肩の荷降りた?」

と聞くと

めっちゃ笑顔で

「うん!」

と言いました。

(3年生、去年は北欧のミルクがゆをサンタさんに用意)

彼女は優しい子なので、きっと来年も再来年も

サンタさんを信じるふりをしてくれたでしょう。

自分のためでなく、わたしのために。

 

ああ、良かった。伝えるその時をちゃんと見つけられた。

彼女が自然に信じられる間、サンタさんになれて

彼女が自然に気づく時にお母さんサンタになれた。

(幼稚園のころのごはん、怖いトナカイ笑)

私はちょうど娘くらいの頃

もうサンタさんは親がしてるんだなって気づいていたけど

それを子供から言ったらなんかダメな気がして

親を傷つける、努力を台無しにする、そんな気がして

どうしようかなあ、、、と思っていた記憶があります。

でもそんな気にしていたのに、ある年のクリスマスに

「さっさとプレゼント選び!」

と怒られた上、その場でお会計し

「はい」

とクリスマスプレゼントを手渡され正体をバラされる。

という衝撃的なカミングアウトを経験するのも今では笑えるお話。笑

子供はどんどん大きくなる。

こうやって過去のクリスマスの写真を振り返って

あの時あの時間、色んなことを一緒に出来て幸せだったなって

ちょっとウルウルしながら思います。

日々生意気な口の聞き方は増えるけど 笑

ものすごく腹も立つけど 笑

昔のサンタさんを信じていた娘も

今の色んなことを色んな角度で考えられるようになった娘も

どっちも大好きです。どっちも素晴らしいことやなって思います。

 

今年のクリスマスプレゼントは

彼女が3つ候補を選んで、そのうちのどれがくるかはわからない

という形式になりました。

しかも宝探し形式で隠さなければいけません。

親サンタは正体がわかったあとでも色々することがあるようです。笑

 

2017-12-21 | Posted in 徒然ごと, 未分類No Comments » 

何に意識を向けていきたいか

(伊藤武先生に描いてもらったグリーンターラー、憧れの慈悲の女神)

11月最初の1週間は、マントラのプライベートセッション、タイヨガのトレーニング、ヨーガスートラ講座、と学ぶ時間が詰まった日々でした。

そんな中自分の意識の中心にあった問いは

「何に意識をむけていきたいか」

でした。

これはマントラの先生やタイヨガの先生に問われたことです。

そしてたまたま先週からのプライベートヨガで私に会いに来てくれた方に、今度は私が聞いたことでもあります。

プライベートクラスではよく、なんてタイミングで。ということがあり

その人に話しかけているのか、自分自身に問うているのか

境目が混ざり合います。

毎回生徒さんに向き合いながら、自分自身に気づきがあり、学びがあります。

マントラの先生が「私は鏡だからね」と何回も伝えてくれました。

私も私の生徒さんの前にいる時、向かい合う2人は鏡だなとよく感じます。

学ぶ側にいる時はそれを感じるのが難しいけれど

やっぱりそういうことなんだろうな、って思います。

また、この期間は「執着しない」ということについてよく感じ考えた期間でもありました。

(私の汚い字 笑 でヨーガの二本の大黒柱と書いてあります)

ヨーガスートラではこんな有名な一節があります。

「それ(心の活動)は実修と離欲によって停止」

(ヨーガスートラ1ー12 伊藤武 訳)

ここで言う実修とは

サンスクリット語でabhi(〜に向かって)から派生するabhyasah

なので、目標に向かって何度も何度も反復して繰り返すこと。

自分が意識を向ける方向を定め、それに向かってコツコツと繰り返すこと。です。

そうすると、私のような凡人はついついその結果を求めてしまったりします。

そこで大事になってくるのが離欲かな、と思います。

バガヴァットギーターでもカルマヨーガの章などを中心に

結果への執着を捨てること、が繰り返し説かれます。

ただここで説かれている離欲は結果だけではなくその行為そのもののことでもあるように感じます。

「離欲は、見たり伝えられたものに対する執心を脱した(欲望の)征服者の意識」

(ヨーガスートラ1ー15 伊藤武 訳)

伝えられたものに対する執着

もしくは伝えてくれた人に対する執心

それは結構扱うのが難しいものだな、と感じます。

(最初は安心して繋いだ手も、離れる寂しさ・怖さが生まれ、不安に繋がることもある。)

いかに執着なく、執心なく

尊敬と愛をもって学びつづけるか。

自分が学ぶ側でも先生と言う立場に立つ時でも

とっても大切なことだなと思います。

そんな時に、こっちだよ、って教えてくれる灯火が

「何に意識を向けていきたいか」

なのかな、って思います。

それは執着だけではなく、いろんなことで迷った時にも。

だからそれをまずしっかり見つめることは、とても大切なことなんだと思います。

 

ここ最近感じたり考えていたことを

文字に残しておこうかなって思って書きました。

またこれを読んで感じたりしたこと聞かせてもらえたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

2017-11-20 | Posted in 徒然ごと, 未分類No Comments » 

素直な気持ち

今日お気に入りのごはん屋さんで、気の置けない友達とランチしていました。

気の置けない、って書いてると面白い日本語ですね

元々は気を使わなくていいほど打ち解けた。の意味ですが、最近はあの人は気が置けないから気をつけてね。など逆の意味で理解している人が多いそうです。

まあ、その気持ちもわかる不思議な言葉だなって思いますが、氣が置いてある状態、氣の置いてない状態ってどんなかな、と想像すると本来の意味がわかるような気がします。

二人の間に「氣」が交流せずに置いてある状態

うん、なんか気まずい。

「氣」が置かれずにスーーーっと行き来している状態

うん、とっても気持ちいい。

そんな感じの友達とのランチです。

(気の置けない人々)

なんてない話を笑いながらしている時間なんですが

あとからじわーーっと効いてくるそんな時間です。

友達がバンスリーを練習していると色んなことがクリアになってくる、と話していたのですが

そういう時間が過ぎた後も、自分の中の考えが自然にまとまっている時があります。

今日もそう。

アーユルヴェーダは大好き。

でも、私は「アーユルヴェーダ」の伝道者ではない。

私はアーユルヴェーダからインスピレーションを受け、私という容れ物を通して表現している、人。

だから、アーユルヴェーダで良しとされていることでも、自分の体感でピンときていないことをお話しすることに違和感を感じてしまう。

ヨーガは大好き。

でも、私は「ヨーガ」の求道者ではない。

rāga ラーガ 色・色欲・心の色

心を染める喜怒哀楽・揺らぎ、その動きを止める、滅する。

そうしたい、とは思っていない。

むしろそれがあることを愛している。

(秋の空って好き)

正しい「何か」を伝える人ではない。

私はただの容れ物で表現者、愛好家。

それらを学ぶことは大好きだけど。

もっともっと自分が、五感が感じていることに素直でいたい。

最近はシリーズクラスもお休みして、すっかりプライベートセッションメインの活動になっていますが

何か形にしていってみようかな。と思います。

まだ内容も場所もなんにも決まっていないけど

何かリクエストがあればお伝え頂けたら嬉しいです。

 

2017-09-12 | Posted in 徒然ごとNo Comments »