夏の音楽祭♪2018のこと と 今日の私

(デコレーションチームの方によって可愛く飾り付けられた看板)

先日8月26日は2回目となる「夏の音楽祭」に出演していました。

生徒さんご一家も来てくださって!

とても嬉しかったです。

(美しいレイ、その向こうにウクレレサークルのみんな)

音楽祭では

チーム銀河鉄道、というなんともハッピーなネーミングのチームと

お友達のhanaちゃんのキールタンに銀河鉄道のみんなで参加しました。

うちの娘も、リハーサルについて来て「私もでたい!」となり

コシチャイムで参加しました。

みんなに温かく迎えられて、とっても幸せそうで

私も幸せでした。

楽しかったなあ〜

私がこの音楽祭を通して一番感じたことは

それが歌でも、舞でも、楽器でも、朗読でも

何かを表現することは、根源的な生まれ持った喜びなんだな。

ということでした。

そして、それを表現している時

みんな美しいなあって、そう、思いました。

(お揃いの花かんむりの女神たちと妖精ピッピさん)

音楽祭では

アサラト、カポエイラ、フレームドラム、キールタン

インド古典音楽、日本の歌、ハワイアン…

オールジャンル盛りだくさんでした。

子供達も何人か参加していて

それはもう、可愛かったです。

小さい頃にこんな風に自由に音楽を表現して発表する

って、いいなと思います。

世界には色んな文化があって

知らないこと、初めてのことばかりです。

今回はカポエイラのビリンバウの倍音とマントラのような歌の

お腹に響く大地のような力強さに出会いました。

余談ですが、民族楽器を愛する人は

ものすごい子供が好きで、子供に好かれる人ばかりです。

そういうとこも含めて、民族楽器っていいな、と思います。

音楽は祈りを思い出させる力が強い。

日本人は無神論者が多いと思うけど

私も特定の宗派や神様を信仰してはいないけど

暮らしの中に、万物への祈りが在った民族だと思います。

そして、今もきっとそれはみんなの中に眠っていて

その祈りを感じた時に安心するのだと思います。

今日も北海道で大きな地震がありました。

星は生きている

星にも寿命がある

地球は今45億歳

寿命はあと17億とか50億とか言われている

その寿命を全うするまで地球は生きている

その中で、私たち人間がいつまでそこに

住まわせてもらえるのかわからないけど

今目の前にあることを精一杯味わって生きたいなって思います。

今日も学校から元気よく帰って来た娘

凍らせた巨峰を、つめたーーい!おいしーーー!って頬張り

にまにましながらいつものようにハイタッチをして

言って来まーす!と遊びに出かけていきました。

かわいいなあ!!

ベランダには洗濯物が干してあって

回ってない扇風機と、お気に入りの音楽

好きなアロマに ザクロジュース

もうすぐ、秋です。

あー今私は、幸せです。

その幸せは当たり前じゃない、ということを

忘れないようにしたいです。

2018-09-06 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

ヨーガを深めていって辛くなる時ってどんな時?

連日凄い猛暑ですね。

暑い日の終わりにご褒美のように顔を見せてくれる

お月様と夕焼け空。

昔から早朝と日暮れどきに時たま見られる

青からピンクのグラデーションの空が好きです。

オーラソーマをしている生徒さんに聞いたら

その色合わせはスターチャイルドといって

無条件の愛のコミュニケーション。

意識のマインドにおける平和、自己の深みにある自己受容、らしいです。

春からずっとお花の曼荼羅を作ることがプラクティスの一部になっています。

WSをしてほしい、という声も沢山頂いているので

もう少し深めてその時がきたら何か形にしたいなと思います。

秋冬のヨガスタジオFIVEELEMENTSでのシリーズクラスでは

最終回にみんなで曼荼羅を作りキールタンを唄う時間をとりますので

その時の感覚なども踏まえて、どんな形でみんなにシェアしていけばいいかな、とかも感じたいと思います。

私は頭で考えたり、それを言葉にするのが割と得意で

それは神様に与えられた私の特性なので活かしていきたいなとは思うのですが

バランスとして、言語化できない時間を取ることがとても必要です。

それはそうしようとしてしているのではなく

勝手にそういうものをチョイスしているようです。

それは、料理を作る時間、写真を撮る瞬間、アーユルヴェーダの日々の生活法、唄うこと、マントラを唱えること、お花と触れ合うこと。

タイマッサージやチネイザンで繋がること。

もちろん、ヨーガのアーサナや呼吸法や瞑想もそうです。

この前マントラの先生とのセッションの時間で

「ヨーガを深めていって辛くなる時ってどんな時?」

という話になりました。

ヨーガの練習を深めていくと、ヨーガが辛くなるような瞬間が訪れてくる、そういうことはよくあることです。

それは階段のようで、ふとその辛さが取り去られたと思ったら、また忘れた頃にそれがやってきたりします。

焦りや貪欲、怠けたいという心や終わりの見えない徒労感。

とても好きな先生ができたりすると、その人に認められたいという思いや執着も生まれる時もあります。

また、人と比べて自分が劣っていると感じたり、逆に傲慢さも顔を出すかもしれません。

ヨーガを人に伝えると決めて、学びを深めていく中で

思考や言語化を必要とし、それらが時に足を捉えて苦しくなる時もあります。

そんな時に、言語化できない時間が私をフラットに整えてくれて

気づけばまた、思考や言語も味方になっています。

思考や言語が足を捉える時、それは自分という容れ物の中に色んな靄や塊があちこちに詰まって

内側に響いたものが、それそのままに外に表現できていない時です。

そして、そのヨーガを深めていって生まれた苦しみを取り払ってくれるのも

またヨーガ、だったりするから面白いなと思います。

ただ私の場合はヨーガ以外の手法も良いと思ったものは色々取り入れて、それが前述した色々です。

表面に出ている形は違っても、それらの真ん中にあることはひとつです。

それはわたしという容れ物の靄や塊を取り去り「それ」をそのまま響かせる事。

「それ」はそれとしか表現できない「それ」です。

昨日こんなことがありました。

娘は今手作りスライムにハマっているのですが

そのスライムが冷えピタみたいなので、冷えて気持ちいのかなと思い、娘の頭に載せたのです。

するとさっきまで手にも何処にもくっつかなかったスライムが

髪の毛一本一本を捉えて離さないのです。

私は面白くって笑ってしまいました。

すると娘は母のひどい仕打ちに(笑 ひどいよね)

ものすごく怒りました。

それはもう取れないんじゃないかというほど髪の毛にくっついていた上に、母親は笑っているからです。(ちゃんと謝りました)

すぐにお湯で洗い流すとそれはスルスルと取れていきました。

娘はまだ怒っていましたが、すぐにケロッと楽しそうないつもの娘になりました。

これはスライムは頭に載せてはいけません、というだけのお話ではなく

自分の内側にある鏡にペッタリとついた汚れってそういうもんじゃないかなあ、と思ったお話です。

私はその汚れが取れない!絶対取れない!なんて難しいんだ!と大騒ぎしているけれど

きっと神様はその姿を見て、大丈夫だよ、とっても簡単にスルスル取れていくんだよ、と

微笑んでいるんじゃないかな、と思ったのです。

 

でも、実際に娘の頭にスライムがついた時は笑ってはいけない、と学びました。

しかしなんで手にはくっつかないスライムが髪の毛にはくっつくんだろう。

知っている人がいたら教えてください。

2018-07-23 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

人も感情も、粒子で出来ている

今日は午前午後とゆっくりコースのプライベートセッションでした。

今日はお二人ともチネイザンとタイヨガとヘッドマルマセラピー。

午前中は1歳の赤ちゃんも一緒に^^

ファイルにカルテをしまっていて

大分パンパンになって来たそのファイルを見て

そういえばもうプライベートヨガをはじめて3年半弱経ったのだなと思いました。

最初はポツリポツリだったけど、今では毎月通ってくれている方も多く

初めましての方も沢山来てくださっています。

お菓子も何回作ったのかなーー

私はハマると飲食と排泄と睡眠以外それしかしない。という事がよくありますが

どれもそこまで長続きせず、また違うブームが来ていたのですが

ヨガから派生した色んな事はずーーーーっと根気よく続いています。

あまりあれやこれや目移りすることも無くなりました。

どんどん同じ場所を色んなツールに持ち替えて掘って掘って掘り続けています。

6月にはまたチネイザンとタイヨガの先生が海外から来てくれるので

手技をより深めて行きたいなと思います。

マントラのセッションも一段深い所に学びが進んでいます。

6月からは呼吸法も改めて1年かけて学びます。

学ぶ事は終わらないです。

春夏のシリーズクラスは6月で終わるので

次はどんな事をして行きたいかなあ、と考える日々です。

考えるというか自分に聞いています。

私の魂が望む事で、みんなの役にたてる事、みんなが私に望む事

それってどんな表現かな、何かな、って空に向かって投げかけています。

私は多分、ストレートに「それ」に向かう事をしたいんだと思います。

「それ」ってヨガでいうと真理とか魂とか梵我一如とか色々言えちゃうのですが

まだそこにいけてないから、名前がわからないので「それ」です。

すごく遠くにあるかもしれないけど、そこに向かうんだと決意する。

そうすると、今までやっていた色んな事の質が変わってくる。

自分がより強く決意することで、もっともっと変えたいんだと思います。

一歩一歩しっかり歩きながら、そう、今ですよ。

というタイミングが来るのを待っています。

先日こんなことがありました。

歩道でお母さんが目眩で倒れて、娘さんがどうしようと慌てていました。

友人が日傘で影を作り、私は救急車を呼ぶ電話をかける娘さんの背中をさすっていました。

微かに震えている背中から、そこに触れている私の手に見えない小さな粒子の振動が伝わってきました。

それは肘と脇の間くらいまで上ってきてフルフル振動を続けていました。

万物は粒子で出来ているってそういう時にリアルに感じます。

その振動は私の知っているもので「不安、怖い」という振動でした。

でもその時私はキールタンの帰りで、私のハートからは「歓び・幸せ」で粒子は振動していました。

だからこそ余計に腕とそれ以外の身体の振動の違いがくっきり分かったのだと思います。

お母さんが倒れるってとっても怖い。お母さんが元気でいることって子供にとって当たり前で

そんなこと怖くて怖くて当たり前です。

幸いすぐに救急車は来て、お母さんもしっかり意識はあったのできっと大丈夫だったと信じていますし願っています。

私は一瞬、その伝わって来た振動に、自分の不安を重ねようとしたのですが

ああ、そうじゃない。と気づき、そのままにしていたら

それは私の中心から流れる振動にまた戻っていきました。

それはとても面白い体験でした。

この写真のお花の曼荼羅を作ることも

キールタンで歌を歌うことも

ヨガのアーサナや呼吸法や瞑想も

アーユルヴェーダの日々のケアも

ご飯を作ることも、掃除することも

お菓子を作り皆さんと過ごすことも

みんなみんな

「それ」へ向かっている。

私は向かいたい。

でも、それをどう形にしてみんなとシェアするのか

私がシェアをする必要は実はないのか

何か別の形なのか

お空に聞いています。

2018-05-28 | Posted in プライベートヨガ, 徒然ごとNo Comments » 

ジョーティッシュを受けて・意識が切り替わる時 その2

さて、前回は

アーユルヴェーダやヨーガを行なう上で

自分の性質に真に気づくこと

それがとってもとってもとってもとっても

大切で、そしてその為には…

という所でした。

その為には…

これ!と言葉で言えるものがあるわけではなくて、って

どないやねん!!笑

その人その人に、それぞれそのタイミングや段階があって

それは何かでコントロール出来ないものかなと思います。

ただ、そのタイミングを掴むことやその時にどれだけ深く気づけるかは

どれだけ自分がそのキッカケを与えてくれる人や何かを

真っ裸で素直に受け入れられているかが大きな要素かな、と思います。

自分の顔の表情、仕草、声、瞳、言葉

そういうところにも全部出ているし

自分がどれだけそのままか

そこにある嘘や虚構が多ければ多いほど

そのタイミングは逃すし、段階は浅く遅くなるのかなと思います。

今回のセッションで私が受け取れた分は

私がそのままで真実で居られた分だと思います。

それは要するに答えはそもそも自分に在るということです。

目の前に居る人は鏡で私の瞳の曇りのない部分だけが

今の私に見えるのだという事です。

だから、セッションを受ける時は曇りが少ない鏡と出逢い選ぶということも大切なんだと思います。

お互いが鏡として、瞳として、曇りを晴らしていくこと。

セッションは共同作業、お互いで車輪を回すことなんだと思います。

私はそのままに向かい合ってもらえるステキな先生に恵まれて

とてもラッキーで幸せだと思います。

私は子供のころ、大笑いしていても何か胸の真ん中に

すごくすごく冷たい丸い石のような宝石のような隕石のようなものがあって

それは絶対温まることがないもので

これは一体なんなんだろう、と感じていました。

ある時、何かの文章でビートたけしさんがそれと同じようなことを書いていて

ああ!私だけじゃないんだ、この塊があるのは。とものすごくホッとしました。

そこからビートたけしさんは私のヒーローなんですが。

その塊は今ではもう感じられなくて

きっとヨガを始めて段々小さく小さく分解されたように思います。

でもきっとそのカケラは見えない見えない微細な粒子

サンスカーラ(残存印象の種子)のように存在していると思います。

今回のジョーティッシュセッションで

私の過去生など(過去生があるかどうかは概念の話なのでどっちでもいい事として)持って生まれてきたものの話の中で

「元々、深い所で自分の要求を真に満たすものはない・存在しないという、根底的な絶望を持っている」

その言葉を聞いて、ああ、あの塊の名前はそうだ“絶望”だったんだな。と、納得しました。

“絶望”というととても暗いもののようですが、そんなことはなくて。

そして

「あなたにとって、その望みが可能性として叶うとすれば、それは自分より大きな意識体、そこに近づく方向へ自分が向かっている時。

その時にすごい安心感があって、そこへの絶対的な信頼感があるんですね」

この言葉に大きく大きく頷きました。

ああ、そうか。だからこの道を歩いてるんだろうな。って。

今後どのように自分が進んでいくのかわかりませんが

それが、自分の芯・核となる部分なんだな、と思います。

そしてその絶望への答えは、私だけでなく皆んなが知りたいもので

社会的な表現を通して、私が伝えていきたい事はそこ。

そして、それは絶対にブレてはいけない事。

それが今回一番私に伝えなければいけない事だったようで

私自身、気づきたかった事でもありました。

(実家の庭の八重桜で母が作った桜の塩漬け)

さて、読んでても???って感じでうまく伝えられているのかわかりませんが

この熱量で書いておきたいな、もしかしたら誰かにとって意味があるかもな

と思って書ききりました。笑

 

今日は朝ドラで大好きなくらもちふさこさんの漫画が出てきて

きゃーーーって読み返していました。

難しいこと書いてるようですが

こんなキャーーはずっと大切にしていきたいのです。

2018-04-26 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

ジョーティッシュを受けて・意識が切り替わる時 その1

先日アーユルヴェーダ医師の安藤先生のインド占星術(ジョーティッシュ)を受けた事を書きましたが

今日はその後の変化と、自分自身に更に染み込ませる為に書こうと思います。

結論から言うと、ジョーティッシュを受けて

ずっと認め切れていなかった自分の性質をガツーーン!と受け入れました。

それは何で気づかないようにしていたのかと言うと

それを認めたら、その後自分が向かっていく方向が

中々ハードというか責任も重く視野も今よりもっと広げていくような方向だからです。

人間なので楽をしたかったんです。

でもそれって本当の楽ではないんですよね。

そしてきっとそれにガツーーン!と気付きたくて、セッションに行ったんだと思います。

そのセッションで話してくれた内容はとても具体的で

私の中に入って一緒に生きてきた?って言うほど的確でした。

でも、私が産まれた時の宇宙が指し示した方向は

私にとってはとても壮大で、本当に私がそんな能力があるのかなってたじろいでしまうものでもありました。

そんな中、先生が私の向こう側と対話するように、呟くように言った一言

「あなたが迷うと、時間が遅れる、時間が遅れると、タイミングが合わなくなる。全ては調和されるように設計されているから。」

これが一番私の目を覚まさせました。

私のちっちゃい自我、恐れ、そんなもんがどんなもんじゃい!って 笑

宇宙の調和の一つの歯車、それが動けば、そこから連動したものもスムーズに動く。

全ては繋がっていて、それは美しい宇宙の設計図の一部のよう。

宇宙物理学の本を読んでいると

如何にこの宇宙がものすごい確率で成り立っているのかビックリします。

それは途方も無い確率です。

ちなみに書くと、宇宙が10の500乗個生まれたらその中の一個くらい人間が生み出される可能性がある宇宙が出来るかも。

くらいだそうです。それくらい宇宙に私たちが存在しているのは奇跡だそうです。

うまく出来すぎているくらい。(この話はとても面白いのでまたの機会に)

その危ういバランスで成り立っている宇宙の奇跡の一部が

私、という存在なんだな。

って、その呟きで、瞬間的に意識が切り替わりました。

もし、それが私に与えられた個性なら、それを存分に発揮して世の中に明け渡したいなって。

アーユルヴェーダの生活法や食事法を実践してきて

確かに生活の質はかなり変わり、とても生きやすくなりました。

でも、それでも中々改善しないものもあって

まあ、仕方ないか。時間がかかるのかな?と思っていましたが

意識が切り替わり、自分の本来の性質にガツーーン!と気づいた事で

本当にすべき生活法や食事法がスルスルと分かり

セッションを受けて1週間、先生に言ってもらったことに加え

自分に必要と思える事を徹底して実践しました。

結果

なんていう即効性!

昨日始まった生理の経血の綺麗なこと!!

血、って大切です。

身体中を巡るから。

1週間徹底して行ったのは血を浄化する事。

女の人はラッキーです。1ヶ月に1回、こんな浄化が出来て

自分でその質を目にする事ができるから。

こんな排出のシステムを兼ね備えているなんて!女性ってすごい!

そんな自分の実践と体験を通して

アーユルヴェーダやヨーガを行う上で

自分の性質に真に気づくこと

それがとってもとってもとってもとっても

大切だと改めて感じました。

 

そして、その為には…。

という所ですごく長くなってしまったので

また続きは今度書きたいと思います。

 

2018-04-21 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

いつでも恋ができるように

今日は終業式

明日から春休み。1人の時間を満喫しています。

マントラをゆっくり唱えたり

ウクレレで歌を歌ったり

今はラナワラというアーユルヴェーダのハーブティーを飲みながらブログを書いています。

 

ラナワラはこんな野性味たっぷりの見た目ですが

味はそんなにクセがなく少しお花の香りがします。

生ハチミツをちょっと入れて飲むと美味しいです。

女性に嬉しいハーブで、美肌、美白、アンチエイジング、ホルモンバランス、PMS、血液の浄化に効果が期待できるそうです。

スリランカでは糖尿病の治療にも使用されているそうです。

(桜も咲き出しましたね)

私は子宮ポリープ切除や子宮頚がんの円錐切除の手術歴

また10年ほど前から小さい2cmほどの卵巣嚢腫があったり

子宮周りがあまり強くありません。

それはジョーティッシュ(インド占星術)で見てもらった時も

星に出ていて「おお!星の並びなら仕方がない」

と前向きに捉える事ができるようになりました。

来月もジョーティッシュの鑑定に行くので

またその感想なんかもシェアしますね^^

 

そうして前向きに捉えてアーユルヴェーダやヨーガで

日々その時の様子に合わせてケアをしています。

昔はひどかった生理痛も今では大丈夫。

気の合う女医さんとも巡り会え、定期的に検診にも行っています。

これから更年期を迎えていくので

早いうちから自分の特性を観て、ご機嫌に歳を重ねて行く工夫をしたいなって思います。

 

自分に起こる様々な事は、大きな流れの中にあって

それに委ねて、でもその中で出来ることを精一杯やっていきたいです。

最近、佐藤初女さんの言葉を繰り返し読んでいます。

初女さんのお話はプライベートクラスでもよくしています。

初女さんが訪ねてきた方におむすびを結び、話を聞き、一緒に過ごすようになったのが41歳ごろと書かれてありました。

森のイスキアの前身「弘前イスキア」ができたのが62歳の時。

「森のイスキア」が完成したのが71歳の時。

そこから海外も含め精力的に活動されて2016年94歳で永眠されました。

 

初女さんの言葉はどこまでも優しく強いです。

初女さんはクリスチャンですが、ヨーガの教えに通じる言葉も沢山あります。

子どもにキリスト教と仏教はどう違うのかと問われて

「お山があるでしょ。こっちから登ってもあっちから登っても頂上はひとつですね。めざすところは一緒です」

とお答えになったそうです。

私も初女さんが目指していた頂上を目指して歩いていきたいなって思います。

私はまだ39歳。

まだまだ始まってもいないような年齢なんだなって思います。

 

ゆっくりゆっくり

じっくりじっくり

これからいくらでも変わる事ができるし

何処へでもいけるんだなって思います。

 

女性である事を楽しんで、生きる事を喜びたいです。

いつでも恋ができる

そんな自分でいたいです。

2018-03-23 | Posted in アーユルヴェーダ, 徒然ごとNo Comments » 

小さいわたしを思い出してみる

私は社会人になるまで

写真を撮るのは好きだけど

保管に興味が無くて(今も無いかも)すぐ捨てちゃうので

小さい頃や学生時代の写真があまり手元に無いです。

旦那さんは逆にしっかり保管したいタイプなので

彼と出会ってからの写真は沢山あります。

この赤ちゃんの頃の写真は

結婚式の時に実家のアルバムから拝借してきたもの

結構面白い顔してました。

(座敷わらしのようだ)

小さい頃の私は母曰く

全く人見知りせず、目と目が合ってニッコリしたら誰でもお友達

という子供だったそうです。

でも全く人の名前を覚えなかったそうです。

どんだけ仲良く遊んでても、名前を聞いたら

「知らなーい、お友達!」

だったそうです。

(おじいさんのようだ)

ここには無いのですが、幼稚園時代の私の写真は

みんながきちっと座っているのに、だらしなくポケーと座り

愛想笑いが皆無な写真が多いです。

性格は引き続き誰とでも友達になるけど名前を覚えない子だったそうです。

執着なく誰とでも遊ぶので先生に重宝され

1人になっている子とかとも頼まれてあそんだりしていたそうです。

確かに特別好きな子とかの記憶がありません。

(前髪邪魔じゃないかい?手の角度が可愛いね)

とってもマイペースな子だったようです。

そんなわたしが初めて空気を読んだ記憶が、今も鮮明にあります。

それは幼稚園の卒園式の時。

周りの友達が泣いていたのです。

わたしは全く悲しくもなかったのでびっくりしました。

でも泣いていないのは自分1人。

その時!!!!

わたしは空気を読んだのです。

嘘泣きをしました。多分めっちゃ拙い嘘泣きを。笑

(いや、だから前髪邪魔やないかい?)

最近より深く深く潜るように自分を観察しています。

そうすると、何層にも何層にも

複雑に色んな感情や記憶や妄想や

長年積み重ねた身体の反応や思考の反応

そういったものが次から次へと出てきます。

ああ、底に着いた、と思ったらそれはパカっと開き

また終わりのない暗闇が穴を空けています。

取り繕って居られない。

うんざりしそうになります。

(産まれた時から髪がフサフサ)

わたし自身を慈しみと理解の眼で観る事ができますように。

最近よく唱えている言葉の一部です。

どんな言葉も、繰り返し祈るうちにマントラ(真言)になる。

守ってくれる力になる。

 

小さい頃の、わたしがわたしらしく全力で生きて居たあのわたしに

執着なく、目の前の人と喜びを共にし

笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣いて

周りの目を気にせず、人と比べず

自分じゃない誰かになろうとせずに

そんなわたしに

 

還っていきたいな。

 

なぜ、うんざりしそうになりながらも潜るのか

それはその暗闇が光の源を生むと

直感的に知っているからです。

 

2018-02-15 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

今年大切にしたいこと

最近、ブログを読んでます。

と、感想を言ってもらうことが増えてきました。

とても嬉しいです。

読んでくれてる人がいるんだ。

何か感じてくれてる人がいるんだ。

そう思うと、嬉しいもんです。

ありがとうございます。

少し前に、今年大切にしていきたいことをノートに書いてみました。

それはこんなこと。

 

丁寧に文字を書く事

好きな音楽を聴く事

好きな香りを嗅ぐ事

絵を描いて思っていた事を感じる事

本を読む事

素直な文章を書く事

美しいと思うものを見に行く事

心惹かれる人に会いに行く事

掃除を丁寧にする事

ご飯をゆっくりと食べる事

子供と楽しむ事

 

どれも他愛のないことです。

 

年始に仲の良いお友達がSNSとの付き合い方について書いていて

それに触発され、SNSに触れる時間をかなり減らしました。

そして、これらの他愛のないけれど大切にしたいことに触れる時間を増やしました。

 

いい感じです。

 

でも、SNSは上手に使うと沢山喜びの種をくれるツールだと思っているので

これからもいい関係を築いていきたいです。

 

また、日々心に留まった事柄を

出来るだけ言葉として紙に書くようにしました。

意識を向けていきたい方向や

自分の認識を見直すきっかけになるので

それもとてもいい感じです。

 

去年の暮れから深い部分での微調整を始めている感じです。

この微調整は2年くらいはかかるかな。と感じています。

 

最近お気に入りのフレーズは

「のんびり、気長に、気楽に」

です^^

 

明日はお世話になっているヨガスタジオFIVE ELEMENTSの2周年記念祭です。

私はチネイザンで参加します。

様々な1日限りのコラボヨガクラスやヒーリングセッション

マルシェエリアでの菜食お菓子や新鮮な野菜を使ったご飯

筆跡鑑定にオーガニックフェアトレードコーヒー

楽器のWSやアーユルヴェーダ商品など盛りだくさんです!

詳細は→2周年記念祭

 

 

2018-01-19 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

「反対・否定」が無い世界だったら

娘は従姉妹と遊びに行き

夫は恒例の酔い潰れ朝帰りで爆睡中

一通りの家事を終え

気長に黒豆を煮ながら

柚子茶を飲み

今年最後のブログを書いています。

(先日友達と1日沢山歩いた、糺の森の朝の光)

 

もし、この世に「反対する・否定する」という概念が無かったら

 

とふとお風呂で考えてました。

 

Aさんは「私は〇〇だと思う」という

Bさんは「私は△△だと思う」という

 

2人は意見が違うけど、反対や否定をするという概念がないので

 

Aさんは「私は△△のなかで◇◇な部分は賛成できる」という

Bさんは「私は〇〇のなかで☆☆な部分は賛成できる」という

 

こうやって繰り返し、お互い賛成できる・肯定できる部分が残って行き

自然と距離が近くなっていく

 

かもしれない。

(同じ日、夕方の日の光。同じ太陽だけど表情は様々)

 

否定や反対のコミュニケーションを経た方が良いものが生まれるのだろうか

それを全く無くしてしまったらダメな世の中になるのだろうか

不健全で不自然な状態なのだろうか

 

物事はそんな単純じゃないし

どうしようなく悪意に溢れているものも存在する

勇気を持って反対する、否定する、ということが必要なこともきっと沢山ある

 

存在を肯定してもらえた上で、これは違うと思うと言われたことが

自分の栄養になる事も沢山ある

 

私にはわからないけど

今の自分の周りには肯定から生まれるコミュニケーションが溢れている

それはとっても居心地がいいし

何より相手を、自分を、好きになる。

 

もし、誰かの尊厳を否定する、そんな概念が存在しなかったら

全ての人が、全ての人を尊重できたのなら

 

もしもボックスがあったらあなたはどんな世界を創造しますか?

 

 

でも、こと家族、となると

とても簡単に否定・反対してしまう 笑

来年は家庭という小宇宙に「否定・反対」ではなく

「賛成・肯定」のエネルギーを満たしていこう。

 

私は生きてきて沢山の否定や批判をしてきたな

沢山の人を傷つけたし、沢山の自然も傷つけた

ごめんなさい

 

キールタンで聴いた「ホ・オポノポノ」のこの言葉

 

ありがとう

ごめんなさい

許してね

愛しています

 

許してね、許してください

 

この言葉が一番胸に響く

この言葉を唄った時

「ああ、もう許されているんだな、すっかり許されているんだ」

ってそう思って涙が流れました。

 

大晦日の今日、一年を振り返り

この言葉と共に過ごしたいなって思います。

 

皆さま、良いお年をお迎えください。

 

ありがとう

ごめんなさい

許してね

愛しています

2017-12-31 | Posted in 徒然ごとNo Comments » 

ふるふるブヨブヨをつんつん

今年もあと三日。

外はとっても寒いです。

今年一年沢山の出逢いがありました。

全ての出逢いに、私と関わって下さった全ての方に感謝します。

心から、ありがとうございます。

 

ヨガスタジオFIVE ELEMENTSでのシリーズクラス

(秋はお休みしたけど、来春はまたさせてもらう予定です♡)

 

毎週火曜日のママと赤ちゃんとのヨガ

(お母さんの元気と赤ちゃんの成長の側に居させてもらえる喜び)

 

毎週水曜日の自宅でのみんなでおうちヨーガ

(新しい方も昔からの方も励ましあえる場所)

 

プライベートセッション

(沢山のお菓子は来てくださったみなさんのお顔と重なります)

 

アーユルヴェーダや様々なWS、イベント

(ひーちゃんとの山小屋さんでのコラボWS、今年だったんだ!)

 

(みゆきーるたんが我が家でWSしてくれたのも今年。私はお菓子を担当させてもらった)

 

(鴨川キルタン♪は忘れられないギフトだったな)

 

(自宅でのWSは思い切ってやって本当良かった)

 

(トシさんとのWSでもお菓子を担当させてもらった。大切な出逢い)

 

(仲良しのひーちゃんと愛ちゃんとのWS。いい時間だった、とても)

 

振り返ればとても昔のことのよう。

一年は早いけどとても長い。

同じ私はいない。

 

今日来年のイメージを描いてみた。

こんな感じ。

どんな感じ? 笑

 

この絵を見てみんなどんなイメージをもつのかな?

また感想を教えて下さい♪

 

全ての方が私の先生です。

今年一年ありがとうございました。

そして来年もよろしくお願い致します。

 

 

 

2017-12-29 | Posted in 徒然ごとNo Comments »