縁むすびキールタン

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先日11月23日は京都トコ会館にて「縁むすびキールタン」でした。

いつもお世話になっていて仲良しな、愛ちゃんとひーちゃんと

あれは夏ごろかな、キールタンをはじめたばっかりの人が発表できる

あったかい、気軽な、手作りの、そんなイベントをしよう!という話になって

そこから沢山の仲間が集まり、沢山の手を心を借りて

この日を迎えました。

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一人ひとり違う歌声

震える手や声

穏やかな力強い眼差し

内側からこぼれ出た微笑

空気に溶けだすみんなの優しさや思いやり

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みんなの心が繋がって結ばれる

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終わった後のおむすび交流会もとても楽しかった

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私もウクレレ隊のみんなと歌いました

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終わっってから今日で3日。

とても楽しかった。感謝が湧き出てくる。みんなへの愛しさ。

それと共に、そこに在るのにそういえば無視していた感情。

悲しさ、寂しさ、闇。

 

私はキールタンのリードに何か違和感をずっと感じていて

それは表面的には

「私歌そんなうまくないしなー」

「場を盛り上げたり、感動を呼ぶようなリードできない・・・」

「そもそもリードをしたい!と熱い思いがあるのだろうか」

とかそんなことだったのだけど

 

終わってから

ああそうか、私はリードする時

キールタンの圧倒的な光や愛や喜びにばかり目を向けて

闇や悲しみや寂しさを無視してたんだ。

と気づいた。

ただキールタンに参加しているときには

その全てを自然にまぜこぜにして、ただ感じているのに

リード、ということに囚われすぎていたんだ。

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今は、そんな自分すら愛しいけど 笑

私がキールタンのリードをすることは、今のところないけれど

いつかそのような時が自然に訪れたなら

その時はぜーんぶ一緒に歌おう。

やっと、キールタンが本当に自分の中に沁み込んだ

そんな気がします。

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ご縁を結んでくれたみなさん、ありがとうございました。

末永くよろしくお願いします。

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2016-11-26 | Posted in キールタンNo Comments » 

12月のプライベートヨガの日程と今年もありがとう会!

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ゆってる間にもう11月末ですよ!!

ということで12月のプライベートヨガの日程です。

写真は先日のプライベートヨガでお出しした無農薬ブルーベリーのマフィン。

和三盆の優しい甘みで上品に仕上がりました。

これ、中々とっても美味しかったのでまた作りたいと思います。

さて、日程ですが

12月5日(月曜日)10時半~(ご予約済み)、12月6日(火曜日)10時半~

12月10日(土曜日)10時~(ご予約済み)、12月13日(火曜日)10時半~(ご予約済み)

になります。

他の曜日や時間帯、週末などもお問合せ頂ければ調整することも可能です。

 

ご予約は↓こちらのボタンをクリックしてどうぞ!
クービック予約システムから予約する

 

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そしてそしてーーーー!!

12月21日のみんなでおうちヨーガでは、レッスン後

来てくれた皆さんにゆうこの愛のカレーランチを振舞おうかと思ってます!

小さな小さな今年もありがとう、来年もよろしくねの会です。

みんなでおうちヨーガのご予約は↓こっちのボタン
クービック予約システムから予約する

ではでは、健やかな年末を一緒に迎えるために、ヨーガの時間を過ごしましょう💛

暮らしを慈しむアーユルヴェーダ講座第二回

暮らしを慈しむアーユルヴェーダ講座第二回
和やかに仲睦まじく無事終了❤︎
みんな自分とみんなに拍手ー👏の可愛い図

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今日はドーシャそれぞれの特徴や、勧められる味、整えるための質、主座など

どのような不調が起こりやすいか
そして誰しもがどのドーシャも乱れる可能性があること

そして答えは一人一人にあること
それを感じることの大切さ

そのようなお話を中心に

ランチの時にもお話ししましたが沢山の情報であふれている現代

自分の信じる価値観と真逆のものが真実だとしているものがあるということ
まったく違う価値観やものの見方があるということ

アーユルヴェーダでは消化に重いとされている玄米も、マクロビではとても勧められるものである、とか
日本では昔から身体によい発酵食品も、アーユルヴェーダではタマシックな食べ物である、とか

その知識は片方を批判する為に使うのではなく
自分の身体で試してみて、しっくりくる方を取り入れるために使いたい

そしてその言っていることの本質を見極められるようにありたい

そして人に勧める時にも、わたしの身体ではこうだった、と
その経験は一人称で語れるようにありたい

人は一人ひとり違い、その個性はそれを活かすために創造されたものだから

そしてそれは、健康だけでなく、様々な思想、信念、宗教などにも言えることだと
それぞれがしっくりきて信じている価値観を
お互いに敬い、尊重できますように

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お菓子は無農薬紅玉リンゴのスパイス煮で作ったパウンドケーキでした
六種類のアーユルヴェーディックなお茶で
ヨガの時間は足がみんなポカポカ!

今回の講座はカファ優勢な方が多いので
ゆった〜りまった〜りしてます(*´꒳`*)

ランチの時にみんながシェアしてくれることで
またみんなに循環と癒しが生まれて

一か月間、それぞれのペースでディナチャリアをやってくれたお陰で、小さいけれど大きな変化に気づけたり
または変化があまりなかったことで、大きな変化を期待する心を鎮めてくれたり

全ての方の全ての経験が、みんなの学びになります。

勇気を出して、自分の内側で起こっている小さな変化や思いを共有してくれることで
みんなの中にある同じ質の思いが、変化し癒されていくのを感じる時間でした。

来月で三回講座最終日
どんどんみんなが仲良くなって
すでに寂しーの声が聞かれて
私は嬉しくて泣きそうでした。

皆さん今日も沢山ありがとうございました!

2016-11-15 | Posted in アーユルヴェーダNo Comments » 

わたしに対しての興味、それはすべてへの

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最近星野道夫さんの本を読んでいます。

今更私がどうこう言う必要のないくらい

多くの人の心を打つ、写真や言葉を残した方です。

その素晴らしさはわざわざ言葉にする必要もないかと思うのですが

とても心に残った一文があったので

それについて書いてみようと思います。

それは

(以下 「魔法のことば」 より引用)

 

「…例えば鳥が好きだというとき、その鳥が生きている面白さというのは

結局突き詰めて考えると僕が生きているということの面白さと等価なんですね。

自然に対する興味というのは、本当に最終的に突き詰めていくと

僕は僕の生命に対しての興味だと思うんです。」

 

(引用 おわり)

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先日のマントラリトリートで

小淵沢の自然の中で繰り返し、あるマントラを唱えていました。

それは大きな石の上で一人で座り、樹々の揺らめきや、水が水を打つ音を聞きながら。

その周りで大好きなみんなが、のんびりしてたり、お話ししてたり

そんな気配を感じながら。

眼を瞑り、繰り返し繰り返し小さな声で。

ふと、目を明てみたその時、当たり前の真実のように

ああ、あの葉っぱの一枚一枚も、木の枝も、水も、土も、空気も

目に見える生物も、目に見えない生物も

そのすべてが「わたし」であるんだ。

と力強く感じました。感じたというより、どんどん目が見えていくような。

なんとも表現できない感覚。

ヘレンケラーのウォーターのような。

 

このような概念はヨーガでなくとも、色んなもので言われているような

いわば使い古されたよくある言い回し。

でも、それらを言葉として理解していたのとは全く質が違って。

言葉として外から入ってきたものと、自分の内側から沁みだしてきたものとでは

もうなにもかもが全く違う。

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目の前の人を愛おしいと感じる。かけがえのない存在だと気づく。

それと、私は全く等価な存在だと気づく。

 

何気ない生活に、自然が作り出す一瞬に、うっかり涙がでそうになる。

それと、私は全く等価な存在だと気づく。

 

物言わぬ自然の中に身を置く。徐々に自分とそれ以外の境界線が曖昧になる。

その儚さ、力強さ、優しさ、残酷さ、永遠性。相反しながら矛盾なく存在するすべての欠片。

そしてそれが自分という存在そのものだと気づく。

自分が壮大な自然そのものだと気づく。

 

段々何が言いたいかわからなくなってきましたので

ここらへんにしようかなあ。

 

2016-11-04 | Posted in 徒然ごとNo Comments »